電話開通130年。日本のコールセンターの歴史
更新日:2024.06.21コールセンターコールセンターにとって、欠かせないアイテムである電話。1876年にグラハム・ベルが電話機の特許を取得してから150年近くになり、日本で電話が開通してから間もなく130年を迎えます。そこで今回は、日本における電話事業のなりたちや変遷に触れつつコールセンターがどんな歴史を歩んできたかご紹介します。
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目次
コールセンターのルーツ
日本におけるコールセンターのルーツは、東京・横浜間で電話サービスが始まった1890年に遡るといわれています。
初期の電話システム
初期の電話は、受話器を持ち上げると電話局につながりました。通話したい相手の電話番号を交換手に告げ、回線を接続してもらうシステムです。現在と異なり発信者が通話先の番号を押すわけではなかったため、当時の電話機にはダイヤルやプッシュホンがありません。加入者は東京155名・横浜42名と少なく、交換手は手動で作業していました。
1899年、電話サービスの加入者数が1万人を超えます。その後も加入者は増え続け、電話の利用回数も上昇するなか、人力による取次作業では間に合わなくなりました。電話の需要が高まったことで1926年に導入されたのが、ダイヤルすると自動で通話先に接続する自動交換方式です。
案内サービスの始まり
電話サービスの開始と同時に、電話番号の案内サービスも始まります。電話事業が発足したばかりの頃、ほとんどの利用者には電話番号を覚える習慣がありませんでした。電話したくても、何番にかければよいか分からなければ連絡できません。そんな場合、電話局の受付窓口に問い合わせると知りたい番号を調べてもらえました。
電話局による番号案内は、利用者から質問があったら求められた情報を提供する役目を果たしてきました。会社のお客様窓口として設置されたわけではありませんが、コールセンターのルーツにあたると考えられています。1952年に電話事業が日本電信電話公社に引き継がれた際、案内サービスは現在と同じ104番になりました。
関東大震災と戦災を乗り越えた電話事業
日本の電話事業は関東大震災と昭和の戦争により大きな痛手を受けますが、いずれのダメージからも復興を遂げます。
関東大震災からの復興
1899年、加入者の拡大とともに東京・大阪間で長距離通話も始まった電話事業。この頃の電話機は交換手による仲介を欠かせない仕組みであり、取次業務は次第に忙しさを増していきます。
1923年に起きた関東大震災は、そんな状況を大きく変える要因になりました。災害からの復旧をきっかけに上述の自動電話交換方式が1926年に採用され、翌年、ダイヤルをもつ電話機が姿を現します。
受話器と送話器が一体になる現在のスタイルは、1933年につくられます。大震災の被害は甚大だったものの電話は普及率を高め、1941年までの加入数は100万人に達しました。
戦後の動向
電話をとりまく環境は、戦災で大幅に悪化します。終戦時の加入数は、約46万人に落ち込みました。それでも、戦後経済が回復するにつれ電話のニーズは増していきます。1940年代後半から1950年代前半には多くの加入希望があり、対応が追いつきません。人手や設備が足りず、申込者を2年以上も待たせる状況が慢性化します。
そんな事態を打開するため1952年に出現したのが、委託公衆電話です。電話局は一般店舗に電話を置かせてもらい、管理も委託しました。同時に、通話の自動化も進みます。遠距離の市外通話は自動交換機でも接続に時間がかかり、まだ交換手が手作業していました。時間の問題は新たな方式の交換機により解消し、市外通話も1955年に全自動化します。
コールセンターの登場
電話局による番号案内は別として、現在につながるコールセンターが登場したのは電話の利用環境が再整備された戦後になってからです。
日本初のコールセンター
日本初のコールセンターに関しては、いくつか意見が知られています。一説では、NTTが設置した電話案内の総合窓口が最初といわれています。時期は、日本電信電話公社がNTTに民営化された1985年以降です。
民間では、それより10~20年ほど前から依頼者に代わり電話対応する代行サービスが始まっていたともいわれています。1975年頃には転送電話装置が導入され、ひとつの代行業者が複数企業の転送先となり顧客対応をまとめて引き受ける業務スタイルも出現しました。
装置の設置には初期費用がかかりましたが、NTTが転送電話サービスを展開すると大幅なコストダウンをもたらします。代行サービスを立ち上げるハードルは下がり、新規参入する業者は増加傾向を示しました。
当時の業務状況
電話代行の認知度が上がるとサービスの需要は高まりますが、いまほど洗練された業務状況ではなかった模様です。代行業者が運営する初期のコールセンターの一例を挙げると、オフィスにはダイヤル式の黒電話が10台ほど設置されていたそうです。決して大規模ではなく、質素なイメージが強かったとの声も聞かれます。
電話のベルがリンリン鳴ると女性スタッフが受話器を取り、受付業務がはじまります。複数企業から依頼を受けている場合は、隣同士のオペレーターがそれぞれ異なる社名を名乗るケースもあり、少し風変わりだったとのことです。
技術の進歩とともに変化するコールセンター
コールセンターの運営スタイルは、電話機を始めとする各種技術の進歩とともに姿を変えていきます。
さまざまな技術の進歩
電話をめぐる技術が革命的に変化したのは、1982年です。デジタル交換機が開発され、音声や制御信号はすべてデジタル化されました。音声は従来のアナログ方式より明らかに聞き取りやすくなり、電話のさらなる普及率向上に貢献します。
電話回線の革命といわれるのが、2004年に登場したIP電話です。インターネットに用いられる機器の採用により、音声とデータをまとめて送信できる環境になりました。通信効率は上がり、電話サービスは新たな展開を見せていきます。
コールセンターを現在の姿に導いたCTI
コールセンターへの影響が大きかったのは、CTIです。Computer Telephony integrationの略称であり、電話とコンピュータを連動させながら各種業務を処理します。このシステムのおかげで、具体的には発信者情報の画面表示や、待機中のオペレーターへの着信の配分がスムーズになりました。
CTIの導入がオペレーターの業務スタイルに与えた影響も小さくありません。これまでの受話器を片手にメモを取るといった風景はほとんど見られなくなり、頭にヘッドセットを装着しコンピュータ画面と向き合う姿が一般化します。いま主流となっているコールセンターの始まりという意味で、CTIの登場は大きなきっかけだったといえるでしょう。
いまも進化するコールセンター
CTI導入後も、コールセンターの進化は続きます。現在、多くの職場で重視するのが、お客様との関係性の向上です。この姿勢は、CRM(Customer Relationship Management:顧客関係管理)が示す「顧客との良好な関係づくりが利益を生む」という考えにもとづきます。ネット環境が整備されると、コールセンターの窓口は多様化しました。以前と違い、電話だけでなくメールやチャットもお客様との接点になっています。
最近、多くの注目を集めているのがAIです。膨大な顧客データを人間よりはるかに迅速かつ正確に処理できる点が、大きな長所です。経験豊富なオペレーターとうまく業務分担すれば、これまで以上にコールセンターのサービスはよくなると期待されています。今後は、コールセンターにおけるAIの動向からも目が離せません。
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